2022年が明けました。
昨年2021年を振り返ると、日本に住んでいて何とも不可思議な歯がゆい思いを否めない年でした。
とにかく経済や成長の鈍さが世界の中で際立っています。
コロナの状況は主要国の中でもダントツに改善しているにも関わらずです。
それによって何とも重苦しい閉塞感が列島を覆いつくしているように感じられます。
なんでこんなに元気がないのか?
まじめにコロナに耐えてきた日本人がもっと幸せ感を感じられないものでしょうか。
新しい資本主義? 成長を放棄しつづける日本
岸田総理は「新しい資本主義」というスローガンを掲げておりますが、今一つよくわかりません。
「成長と分配の好循環」ということらしいですが、成長の果実を適正に社会で分配していくということは、20世紀以降の自由主義国家の大半で共有されてきた当たり前の方向性であって、総理が胸を張って言うほどの新しい概念ではありません。
日本に漂う閉塞感は「格差」よりも「低成長」が原因です。
分配という手段が否定されてるわけではなく、分配原資が不足しているだけです。
その改善のために求められるのは「成長戦略」であることは火を見るより明らかです。
アベノミクスでも3本の矢のうち、1本目の「金融政策」と2本目の「財政政策」は一定程度効果を上げましたが、3本目の「成長戦略」の矢は、ついぞ大胆には放たれませんでした。
成長戦略には「変化への適応」が不可欠ですから、既存の利害関係を損ねたり、労働の流動性が激しくなるといったような痛みが短期的には伴います。
そのため多くの人から不人気となる改革が少なくなく、「選挙」で洗礼を受ける人たちにとってはなかなか進めずらいことは十分に理解できます。
それにしても、 90年代からの「失われた30年」の間の日本経済の停滞ぶりは、世界的にみても酷すぎるもので、完全な一人負けです。
GDP(国内総生産)を見ても、この30年の間にアジアなどの新興国のみならず欧米先進国も大きく経済成長しているのに対し、日本だけが500兆円前後でグズグズしています。
一人当たりの実質GDPでは、1990年当時の日本はアメリカより上位の9位。
上位は人口の少ない国ばかりでしたので、主要国の中で実質トップでした。
それが30年後の2020年、33位にまで落ち、アジアの中でも12位です。
今年の日経平均は終値が28,791円と年初来4.91%上昇し、32年ぶりの高値を付けました。
あたかも市場が活性化しているかのような報道が見られますが、32年前の1989(平成元)年、時代が平成に移った年の終値が38,915円、これよりまだ1万円以上低い水準です。
主要国の中でコロナの抑え込みにはダントツに成功している日本ですが、4.91%という株式市場の伸びは、対照的に芳しくありません。
1日の感染者が20万人を超えているフランスの主要指数CAC40が年間で29%、連日10万人以上の感染が記録されているアメリカの主要指数S&P500が27%上昇していることなどと比較すると、皮肉なくらい低成長です。
こんな実態にもかかわらず、岸田総理が金融所得課税強化を目指したり自社株買いに否定的な発言するというのは大変残念ですが、内閣支持率は上がってきています。
支持率アップの要因はいろいろあるでしょうからこれだけでは何とも言えませんが、日本人の政治への評価要素として経済成長があまり重視されていないことは否定できないように見えます。
「タラントンの逸話」
聖書のマタイによる福音書25章に「タラントンの話」というイエスが弟子に語った例え話があります。
旅に出掛けようとする主人が、三人のしもべを呼び、それぞれの能力に応じて5タラント、2タラント、1タラントのお金を預けていきました。
主人の留守中、5タラント預かったしもべはその原資を10タラントに増やしました。
2タラント預かったしもべも一生懸命働いて4タラントに増やしました。
ところが、1タラント預かったしもべは、無くさないように穴を掘ってそのお金を隠しました。
旅から帰ってきた主人は、三人のしもべたちと預けたお金の清算をしました。
預かったお金を倍に増やした二人のしもべたちは、主人から「良い忠実なしもべよ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう」と言われて褒められました。
ところが、1タラントを預かったしもべは、「ご主人様、私はあなたが厳しい方であることを知っておりましたので、預かったお金を決して無くさないように地の中に隠しておきました。ご覧ください。ここにあなたのお金がございます」と答えました。
すると主人は、「悪い怠惰なしもべだ。私が厳しい人間だと知っているのであれば、せめてその金を銀行に預けておくべきであった。そうすれば利子と一緒に返してもらえたであろうに」と叱責した。
そして「そのタラントをこの者から取り上げて、10タラント持っている者にやりなさい。おおよそ、持っている人(勤勉に能力を磨いた人)は与えられていよいよ豊かになるが、持っていない人(恐れて何もしない人)は持っているものまで取り上げられるだろう。この役に立たないしもべを外に追い出してしまいなさい」と言って、能力のあるしもべにこのお金を委ねました。
多く預けられたしもべたちは主人から期待された任務を果たしたが、最少額を預けられたしもべはそれを怠り主人の怒りを買い、追い出されてしまったのです。
ここで注目したいのが、預けられたお金の使い方が適切でなかったのが、最少額を預けられたしもべであったことです。
主人は能力に応じて預ける金額を変えています。
能力が高くなくても、委ねられた期待に対して努力していれば、それに応じた評価をされたはずなのですが、彼はそれを怠ってしまったのです。
自分の「タレント」を大切にする
この例え話の中で預けられた「タラント」というお金の単位は、今のタレント(talent:才能)の語源です。
預けられたお金が象徴しているもの、それは人がそれぞれに持っている才能や能力です。
知力、体力、知恵、知識などなど、もちろん文字通りお金や資産といった富も含まれるでしょう。
生まれ持ったものもあれば、後天的に培ってきたものもあるでしょう。
そして、問題はその才能の大小ではくて、それぞれが持っているものに対してどう向き合うかということです。
1タラントを授かった者は、その1タラントをどう生かすかを考えればよいのです。
逆に5タラントを授かった者は、5タラントに見合った働きと成果が求められ、少ない成果では評価されないのです。
才能の大小に一喜一憂したり、他者の持っているものを羨んだり、自分が立っている場所に満足するのではなく、神から授かった才能を見つけ、それに感謝し大切に伸ばしていく。
そういう誠実な努力によって、世のため人のために自分の役割を果たしていこうとすることが大切だと、この聖書の一節は教えているのです。
30年前、5タラント持っていたアメリカは、今10タラント以上に増やしています。
1タラントを持っていた当時の新興国は、多くの国が2タラント以上に増やし、中には5タラント、10タラントに迫ろうという国もあります。
3タラント持っていた先進国の多くが、7タラント、8タラントになっています。
日本は?
3タラントを土の中に埋めたまま、それを誰かに取られはしないかと見張っているだけの30年間だったのではないでしょうか。
もちろん、土の中の3タラントは全く増えておりません。
2022年、日本はもっと成長とそのための努力やパッションを評価する国にならなくてはいけないと確信します。
リスクを取った人、汗をかいた人が報われる社会でないと、成長は望めません。
他者が持っているタラントを妬んだり、非難したりしても何も生まれません。
富や成果を適切に分配していくことももちろん大切ですし、同時にそれらがどのように活かされていくのか、成長につながっていくものなのかという視点を持つことも重要です。
最近給付が決まった10万円の給付金も、土の中に埋められてしまわないよう望みたいところです。
そしてボク自身も、年の始めに自分をきちんと棚卸した上で、今年は何をすべきなのか、新しくチャレンジすべきことはあるのかをゆっくり考えたいと思います。
コメント