今日、2024年1月9日は初代農林水産大臣で「北海のヒグマ」などの異名を持つ中川一郎の41回目の命日。
そして、ボクの57歳の誕生日。
そう、伯父 中川一郎はボクが16歳の誕生日を迎えた日の朝、急逝しました。
あの朝のことは今でも鮮明に覚えています。
朝8時頃、まだ寝ていたボクはある札幌の経済界の方からの電話でたたき起こされました。
伯父が札幌パークホテルで倒れて病院に救急搬送された…、
とその電話の主は慌ただしく言い、ボクにも病院に行けるようすぐ準備をしなさいと命じました。
その時点では、まだそれほど深刻な事態とはボクは思いもせず、それでもすぐに出掛ける支度を始めました。
ところが10分もしないうちに同じ方から再び電話が入り、「亡くなった」と告げられました。
俄かには信じられない言葉でした。
前年、1982年の自民党総裁選に出馬し、中曽根康弘さんに敗れはしたもののまさに時代の寵児として注目と人気を集めていた伯父。
いずれは北海道初の総理大臣にと道民の期待を一身に背負っていた伯父。
その伯父が亡くなった。
そんなこと突然言われても、全く現実感が湧かない。
その感覚は今でも記憶に残っています。
すぐに、翌日からボクの誕生祝も兼ねて行くはずだった富良野への友人たちとのスキー旅行をキャンセルし、急ぎその日十勝にいた母と合流して東京に向かいました。
何という誕生日。
まだ10代でしたから、誕生日というものがまだまだ特別な日であり、特別な意味を持ってもいました。
そんな日に、あのとんでもなく偉大な存在で、自慢でもあった伯父が…。
自分の刻んだ16年が、伯父の命を削り続けてきたのでは。
そのな思いすら頭をよぎりました。
あれから41年後の1月9日。
ボクは、57歳で亡くなった伯父と同じ年齢になった。
あんなに偉大に輝いていたようにみえた存在と同じ歳に。
57歳のボクは全然子どものままで、弱くて、不安で。
でも自分の仕事や営みに僅かながらも誇りを感じ、そして家族を愛し…。
50代なんてこんな不安定な存在であることを日々痛感させられる。
比べようもないけど、伯父は同じ年齢でどれほどの重荷を背負っていたのだろう。
想像もできないし、そんな資格もない。
ただ思う。
幸せであったならいいな、と。
57歳を迎えたボクは幸せだ。
辛いことも頭に来ることも、不安も恐怖もあるけれど、幸せだ。
少なくとも「幸せだと思って毎日を過ごし、感謝する」そんな境地に立てるくらいには大人になったようには思える。
伯父の41回目の命日でボクの誕生日でもある日の前日、ささやかながら供養をさせていただいた。
そして報告した。
「伯父さん、伯父さんと同じ歳になりました。毎日幸せに生きてます。ありがとうございます」
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