「のに」が出ると武器になる 未熟な自分の今週の反省

LIFE
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<のに>がでた。
ボクの口から。たくさんたくさん出た。

別に嘔吐物や化け物ではない。

ボクが一番嫌いな日本語の一つだ。

ボクは以前、この<のに>に潰されそうになった。
それ以来、この言葉を恐れ、なるべく距離を置こうとしていた。

それな<のに>、ボクはこの言葉を連発していた…。

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『のに』がつくと愚痴が出る 相田みつを

相田みつをさんの作品に「のに」という詩があります。

あんなに世話をしてやったのに
ろくなあいさつもない

あんなに親切にしてあげたのに
あんなに一生懸命つくしたのに
のに……
のに……
のに……

<のに>が出たときはぐち
こっちに<のに>がつくと
むこうは
「恩にきせやがって―」と 思う

庭の水仙が咲き始めました
水仙は人に見せようと思って
咲くわけじゃないんだよなぁ
ただ咲くだけ
ただひたすら……

人が見ようが見まいが
そんなことおかまいなし
ただ いのちいっぱいに
自分の花を咲かすだけ
自分の花を―

花は ただ咲くんです
それをとやかく言うのは人間
ただ ただ ただ―
それで全部
それでおしまい
それっきり

人間のように
<のに>なんてぐちは ひとつも 言わない
だから 純粋で 美しいんです。

「のに」相田みつを

愚痴ではすまない。人を傷つける刃になる

ボクはこの詩が大好きです。

このブログのプロフィールでも少し触れていますが、ボクは今から10年少し前、人生の中で味わったことのないほどの挫折と自己嫌悪でまさにどん底の中にいました。

義憤にかられて半ば無謀ともいえるチャレンジに身を投じたことから、それは始まりました。
少なくない数の方が、「義憤」や「こころざし」に共感してくれました。
期待をしてくれました。
勇気づけてくれました。
行動を共にしてくれました。

そして…、

ボクはチャレンジに敗れました。

それでも、チャレンジは始まったばかり。
ボクも未来を見据えていましたし、周りの人たちも期待をしてくれました。

そんな日々の中で、<のに>が存在感を示し始めました。
発している方は別に悪気があってのことではないのです。
親切からでる<のに>
期待からでる<のに>
激励からでる<のに>
中には、
相田みつをさんが言うように、「ぐち」からでる<のに>もあったかもしれません。
そして、責めるたてられるように厳しい、刃のような<のに>。

たくさんの<のに>の中で、ボクはだんだん心が押し潰されるようになってきました。
自分が無能で無責任で自分勝手な、とんでもなく迷惑な存在なのだと思うようになってきました。
そうして、自己嫌悪と対人恐怖に耐えられなくなり、チャレンジを止め、ヒトを避け隠れるような生活へと変わっていきました。

時に、ひとの言葉は鋭い刃のように心を切り刻みます。
発した方はそんなつもりではないのかもしれませんが。
いろいろなことがあったボクの心は、ひとの言葉に本当に過敏で防御的になっていていました。
中でも<のに>は、最強の武器でした。
<のに>に続く言葉は、容赦なく弱ったボクの心に突き刺さります。
ボク自身も「愚痴」として使って、ただただ後悔や恨み、自責といったネガティブな感情でいたずらに自らの心を痛めつけます。

そんな日々を過ごした時もありましたが、以前のブログでも触れたように、いろいろな心の拠り所を得たりしながら、今は何とか立ち直って充実した毎日を送っています。

そんな経験から、ボクは<のに>という言葉が怖いのです。
ひとを傷つけてしまわないか。
ボク自身を責めることになってしまわないか。
なので、この言葉をなるべく使わないようにしていたつもりでいました。

しかし…、

「のに」を連発する未熟な自分

ここ数週間、自分なりによく働いたと思っていました。
札幌は記録的な大雪。
かねてから温め、発信していた諸々の地域課題への提案等を前に進めるため、精力的にいろいろな働きかけを行ってきました。

自分でも知恵を絞り、動いたつもりです。
仲間を激励し、ともに話し合ってきました。
軋轢や不満が生じていることには、自分が蒔いたものでもヒトが起こしているものであっても、できる限り目を配り、気付いたことには配慮してきたつもりでした。
こうして、先週末には一つの区切りを迎え、自分自身としては一定の達成感がありました。
そして、不覚にも「報われるべき」とも思ってしまったようです。

週が明けて月曜日に目の前で展開されたのは、自分が思い描いていたものとは大きく異なるリアクション。
合意していたことさえも、何の連絡もないまま一部反故にされていました。

その晩、ボクは憤慨と失望でろくに眠れませんでした。
朝方に松下幸之助翁のご著書を読み返してようやく少し心を落ち着けられたおかげで、何とか普段の顔で出勤はできましたが。

その晩、夕食の食卓でボクの口から<のに>が出ました。
最初はそんなに”きつくない”<のに>だったと思います。
でも、<のに>は恐ろしい。
一度口から出ると、感情を掻き立て、しだいに厳しいものへと姿を変えていくのです。
「…のに、全く無駄だった!」
「…のに、裏切った!」
「…のに、失礼だ!」
「のに、のに、のに!」

たまりかねたのか、妻が静かに言いました。
「向こうはそう思っていないかもしれないよ。何か事情や理由があるのかもしれないし。あなたは自分の意見が通らなかったからって一方的に怒っているだけじゃない。」

やってしまった。
<のに>が引っ張り出す愚痴憤慨は何も前進や解決を生まない「のに」…。
結局、その夜もいろいろと思案に暮れる、長い夜を過ごすことになりました。

具体的に動く

ともかく
具体的に動くことだね
いま、ここ、を
具体的に動く―
それしかないね。

具体的に動けば
具体的な答えが出るから。
自分の期待通りの答がでるかどうか
それは別として
具体的に動けば
必ず具体的な答えが出るよ。

そして―
動くのは自分。

「M君へ」相田みつを 

この数週間、一生懸命動いたつもりでした。
そしてとりあえず、答は出ました。
期待していたとおりのものも、そうでないものもあったけど、とりあえず一旦の答は出ました。

次にどうする?
期待通りな答に満足するもよし。
期待通りでなかった答に憤慨するもよし。

でも、もっと満足する答えにたどり着きたいのか?お前は。
もしそうなら、動くしかない。
そして、動くのは自分。

新しい提案を仲間にぶつけてみました。
賛同が得られました。
その提案について、先輩にも意見を聞いてみました。
背中を押してくれました。

木曜日、金曜日と準備や必要な根回しについて頭を巡らせ、何とか概ね枠組みを整えることができました。
あとは来週具体的な作業です。

こうして、先週末と同様にまた達成感を持って週末を迎えることができました。
ただ先週とは少し違う、不要な昂ぶりが削れた、多少は落ち着いたものになっているように思えます。

このまま<のに>に振り回されない、充実した週末を過ごそう。

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