続 トイレの神様との約束 真っ直ぐな子どもたちへ!

LIFE
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息子がトイレの神様と3つの約束してから1か月ほどが経った。

母親とのやり取りで自尊心を傷つけられ憤慨していた中学1年の息子のために「神様」にお出ましいただいたことは、以前に記した。

トイレの神様との約束は、子どもにとっては決して簡単なことではない。
大人でもちょっときつい、というか大人の方が抵抗あるかもしれない。

だからこの約束を意識し守ることは、息子にとって貴重な体験になるはずだ。

夏休みもあっという間に終わり、学校と家庭とを毎日往復する日々がまた始まった。
果たして彼は約束を守り得たのか?

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旧約

筆者は大の風呂好きだ。

以前はよく温泉やサウナなどにも通っていたが、コロナでその生活も一変した。

感染予防にストイックな妻に大好きなお風呂通いを禁止されてからもう半年以上が経つ。
一度、子どもたちの習い事で家族全員いない間に、こっそり北のたまゆらで朝風呂をいただいたところ、同じくお風呂へ行くのが大好きな娘にあっさりばれてしまい、「ダダ(筆者のこと)だけズルい!」と大変な非難をあびてしまった。
我が家の女性軍は大変シビアなのだ。

それ以来、夕食前に風呂で読書をするのが筆者のささやかな楽しみになっている。

ある晩、いつもどおり風呂から上がってバスタオルで体を拭きながら、ふとトイレの方に目をやると(我が家では浴室の脱衣場の中にトイレがある)、電気がついているではないか。

「まさか…」

息子がトイレの神様と交わした約束は3つだ。

1.トイレを出るときに電気を消す!
2.トイレットペーパーが無くなったら次の人のために交換しておく!
3.汚した便器をきれいに拭く!

なのにトイレの電気がついているとは…。
息子に期待していた筆者は少しばかり動揺した。

その時、脱衣籠の中に放り投げてある文庫本が目に入った。
風呂の中で読んでいた本だ。
ストーリーの展開が小気味よくてついつい夢中になってしまう。
風呂に入る前、トイレでも読んでいた。

「そうだ、こいつに夢中になり過ぎて、消し忘れたか? 俺としたことが…」

犯人は息子の父親、つまり筆者であった。

【電気代の節約に【Looopでんき】】

ある週末の夜、トイレから出てきた息子にたまたまかち合った。

「今、神様との約束を3つ全部いっぺんにやったよ」

誇らしげに息子が言った。

「おー、3ついっぺんにか。なかなか全部いっぺんにやるチャンスはないよな。」

「うん。跳ねたおしっこを拭いたらちょうど紙がなくなって、交換しといた。」

トイレの方に目をやると、もちろん電気も消えている。

「そうか、ちゃんと約束を守っているのか。結構たいへんだろ?」

「まあ、便器を拭く(第3の約束)のは最初はきつかったな。 割とすぐに果たすチャンスが来て、ウェーって思ったけどちゃんとやった。もう慣れてきたよ。」
「ただ、2番目の約束の機会がなかなか来なくて、全部果たすのに結構掛かったよ。」

「そうかもしれないな。でも、自分が紙を使わなかったときでも、切れているときもあるかもしれないから、注意してみるといいよ。」

「そうだな。」

落ち着いて話す息子だが、目が嬉しそうだ。
約束を果たしていることが自信になっているのかな。
そのことを自慢する機会がずっと欲しかったのかもしれない。

確かにこのひと月ほどの間に息子の様子は少し変わったように思う。

もちろんトイレの電気のつけっぱなしは減り(時々あるが、まだ幼い妹の仕業のようだ。いや、オレか⁇💦)、便器が汚れていることもなくなった。
そんなこと以上の何かが動き出したように感じる。

テレビに張り付いていたり、iPadと格闘している時間は相変わらず多いが、母親が決めた終了時間に結構素直に従うようになった。
それどころかゲームやテレビを止められない幼い妹をたしなめるなんて余計なことまでする。
お陰で、兄弟間のバトルはときに激しさを増す。

毎朝とにかく最初にテレビの前に陣取るのも相変わらずだが、決まった時間には止めて飄々と学校に行くようになった。

かつては練習すること自体に抵抗を見せることもあったチェロやピアノも、自主的にやるようになったとまではいわないが、何だかんだ言いながらもやるようになった。
先日BBQをした日なんか、「先にチェロやっとこー」なんて言ってさっさと終わらせてしまった。
これまではスケジュールから逆算して行動することなんて全くなかったが・・・。

トイレの神様がトイレ以外の場所でもじっと見守ってプレッシャーをかけているのかもしれない。
そんなこととは関係なく、彼の自然な成長なのかもしれない。

どちらでもいい。確かに彼は変わった。目に見えて。

「人が見ていないところでこの神様との約束を守るのはそんなに簡単じゃない。人間は弱いからな。でも守れたら、お前の行動が自然に変わってくるはずだ。」

筆者が偉そうに言ったことも、まんざらじゃなかったか。。。

新約

我々はまちを建て、頂が天に届く塔を建て、名を上げよう。

旧約聖書 創世記第11章 「バベルの塔」

「お風呂の神様とも約束しようかな。」

ある日、風呂から上がってきた息子が言ってきた。

トイレの神様との約束を守れていることに自信を深めたのか。

しかし、筆者は息子の姿に頼もしさを感じながらも、同時にわずかな胸騒ぎもよぎった。
人間という罪深い存在が自らの存在を過大視し、神の戒めを受けて自滅の道を歩む悲劇は、歴史上何度繰り返されてきたことか。
(大袈裟な言い方だなぁ…)

「風呂洗ったから、第3の約束は果たせるし、電気も消すし(第1の約束)。あと第2の約束も果たせれば…、あれ??」

「どうした?」

「トイレットペーパー…」

「確かに風呂にトイレットペーパーはないよな。」

「お風呂の神様とは2つの約束でいいのかな。」

「いや、そうじゃない。日本は八百万やおよろずの神々の国だから、いろいろな神様がいろいろな角度で人間の行動を見ている。」

「・・・・」

「お風呂の神様が人間に求めることは、トイレの神様が求めることとは少し違うんだ。」

「違うって…?」

「トイレと風呂じゃ気をつけなくちゃならないことが違うだろ。」

「・・・・」

「トイレは汚物を出すところだから汚れるのは仕方がない。なので汚した後にいかにキレイで快適にするのかが大切だ。そうだろう?」

「そうだな…。」

「風呂はどうだ?」

「風呂も汚れたらきれいにした方がいいだろう⁉」

「もちろんそうだ。でも風呂の本来の目的は、トイレと違うだろう? 風呂は何のために入る?」

「体を洗うため。」

「そうだ。風呂は体をきれいにするところだ。だから次に入る人のためにもなるべく湯を汚さないことが重要なんだ。」

「そうか!」

「そうだ。いつもお前にも言っているだろう。浴槽に入る前に汚いチ〇チ〇とケツを洗え!って。お前はいつもすぐ浴槽に飛び込もうとするからな。」

「ちゃんと洗ってるよ💢」
「”浴槽に入る前にチ〇チ〇とケツを洗え!” これがお風呂の神様との約束か⁉」

「まあ、そんなところだが、神様は”チ〇チ〇”とか”ケツ”とかはいう下品な言葉は使わない。」
”浴槽に入る前に、体を流せ!” このくらいでいい。これが第1の約束だ。」

「わかった。第2は?」

「第2の約束のキーワードは”エコ”だ!」

「エコ?」

「そうだ。お前がほとんど意識していない価値観だ。」

「それはねーだろ。トイレの電気は消してるぞ。」

「トイレだけだろ。お前らのいた場所、歩いた後はいつも電気つけっぱなしだ。」

「だから風呂の電気も消すって言ったじゃん。第1の約束だって…」

「電気はトイレの神様の方でいい。もっとお風呂独特のエコを神様は求めている。」

「・・・・」

「お湯、沸かすだろ。ガス使って。」
「そして冷めたら次の人が入るときに追い炊きしなくちゃならないだろ。」

「そっか!」

「そうだ。お前らが入った後の風呂はいつもひっどいぬるいわ。追い炊きしないととても入れない。」

「蓋、だな…?」

「そうだ! ”上がるときには蓋をする” これが第2の約束だ!」

「わかった! で、第3は?」

「第3はもうわかってるだろう。さっき自分で言ってたじゃないか。」

「風呂を洗えって?」

「そうだ。”入るのが最後の時は、お湯を抜いて風呂を洗う” これが第3の約束だ。」

<お風呂の神様との3つの約束>
① 浴槽に入る前に、体を流す
② 上がるときには蓋をする
③ 入るのが最後の時は、お湯を抜いて風呂を洗う

こうして息子はお風呂の神様とも約束をしてしまった。

トイレの神様との約束を「旧約」とするなら、お風呂の神様との約束は「新約」とでも言ってみようか。

なんとなく重みがあるように聞こえるなぁ。

でも、「旧約聖書」の神はこう言っていたっけ。

主が唯一の神である

十戒(モーセ)

二人の神様と軽々しく約束なんかしちゃって大丈夫?
まあ、知ーらないっと…。

福音

ある朝 Facebookを眺めていたら、懐かしい写真に目が留まった。

ちょうど8年前に妻が投稿した写真だ。

まだ幼い息子が洗濯物を干すのを手伝っている。
ぎこちない手つきで自分の肌着をハンガーに掛けている姿がいじらしい。
まだあどけないなつかしい顔は真剣そのものだ。

あれから息子は見違えるように成長し、今年中学生になった。
生意気なことも言うようになったし、母親に抵抗するようになった。
そんな様子の一端は既に前回紹介した。

成長とともに主張も増え、抵抗もする子どもたちと毎日毎日向き合い格闘し続けてきた母親の苦労やストレスも相当なものだろう。
仕事を言い訳に都合よく外に逃げている父親からは計り知れない。
うかつに「わかるよ…」なんて言ったらどんなことになるか、世の御仁たちは十分おわかりだろう。

そんな大変な格闘を続けている妻の Facebookのタイムラインに、ちょうど8年前の自分の投稿が掲示されたのだろう。
その過去の投稿を、妻はこんなコメントを添えてシェアしていた。

8年も経ちましたか。今は息子が自分から朝食を済ませたり、牛乳パックの処理、バスタブの掃除をしたりするなど、色々機嫌よくやってくれる子になりました。
Has it been 8 years? The Boy has grown up and prepares breakfast, helps with the garbage, washes the bathtub and does other chores, and does them all cheerfully. What a wonderful boy I’m blessed with.

神様の慈愛に育まれ、今日も子どもたちの元気な声が響く。

「かあちゃん! ひでえよ! 独裁者! #$%#¥&#!!!!」

「マミー、鬼!」「ダダ、うるさい!」

我が家は幸せだ💕

<完> かな…

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