振り返ると、それだけ…

LIFE
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日一日と陽が長くなり、札幌でもまだ遠い春への期待が心の中にかすかな色合いを持ち始めた頃。
そんな先週、大切な先生がお亡くなりになった。
95歳だった。

急逝されたその日からまだ間もない2月最後の日曜日、先生の弔問に伺った。
この時期としては珍しいかなと思うほどの激しい吹雪の午後、時折ホワイトアウトしてしまうような道をおっかなびっくり運転して、札幌市西区の閑静な住宅街にある先生のご自宅に到着した。

長く行政機関や教育界で活躍され、高度成長期前後の北海道の開発・発展、国際交流などに心血を注いだ行政マンであった先生。
教育者に転じた後も、持ち前のまっすぐな情熱を若者たちに注ぎ続けた先生。
経営破綻の危機に陥りそうになった大学を、別に経営陣でもないのに自ら先頭に立って責任を背負いこんで救ってしまった先生。
その学び舎からは、今もなお多くの若者たちが巣立ち、それぞれの立場で立派に社会を支えている。

一つ年下の奥様も素晴らしい教育者だった。
若い頃から広い世界にその眼差しを向け、アメリカの政府機関に招聘されるなど、北海道の国際化にご尽力された。
大学教授としても多くの若者を国際人として送り出し、そのお人柄から教え子たちに慕われ続けてきた。
久しぶりにお会いした(奥様)先生は、少しお痩せになったご様子だったが、90歳を過ぎてから脚を骨折したとは思えないほどしっかりとした、往年と変わらぬお姿であった。

ご夫妻ともに、定年を迎えた後も長年精力的に活動され、学術機関や業界団体、消費者団体などで要職を務められた。
北海道国際航空(Air-Do)の設立などでも需要な役割を果たされた。

私も、人生の節目など要所要所で、たびたび先生ご夫妻を訪ね、アドバイスをいただいたりした。
そんな時、亡くなった先生は好奇心いっぱいに目を見開いて、「うん、うん」と私の話を聞き、奥様先生も慈愛の表情でうなずき続けてくれた。
こちらがどんな状況であっても、その事柄の是非に関わらず、いつもおおらかにあっけらかんと受け止め、遠くの真実を見つめるようなまなざしで、最後には背中を押してくれた。

そんな先生のご霊前に手を合わせてから、奥様先生 ー 94歳になられている! ー と、久しぶりにゆっくりお話しさせていただいた。
先生のお嬢様 ー といっても私よりも先輩だが ー と、大学に通うその息子 ー つまり先生のお孫さんだ ー ともご一緒させていただいた。

お嬢様は、最近になってキャリアコンサルタントの国際資格を取得され、札幌市内の有力大学での勤務を始めて学生たちの進路指導で忙しい日々を送っておられるとのこと。
さすが両先生の地を引いておられると感心させられる、というか驚かされる。
獣医師を目指して大学に通うお孫さんは、おばあちゃんと並ぶと目元や顔立ちがそっくりで、向かいに座って拝見させていただくと本当に微笑ましくなってくる。
そんな3世代のご家族とともに、亡き先生の在りし日のことで話が弾んだ。
奥様先生は、もともと細い目をさらに細められながら、懐かしそうに「うん、うん」と頷きながら、静かに思い出を語られたりしていた。

柔らかく、温かい時間だった。

「でもね…」

先生が突然つぶやかれた。

「この人と一緒に、いろんなことをやってきたけど、90も過ぎると、何をしてきたんだか、もうよくわからないわ。」

先生の目は少し潤み、遠くを見ているような、すぐ前の断片を眺めているような…。

「何をしてきたんだか、大変だったのかもしれないし…。ただ、大変だったなぁ…、やり遂げたなぁ…、と90歳を過ぎて今思い浮かぶのは、娘と息子を必死に育てて、とりあえずそれぞれ一人前に生活できるようになって、家庭を持って、こうやって孫が立派に育ってくれて…。それだけだなぁ。それ以外は何をしたんだかよくわからない。」

ガツン!と来た

なんと重たい言葉なんだろう!

夫婦二人三脚で、それぞれ責任ある大きな仕事に向き合い、功績を上げられてこられた。
亡き先生とともに多くの人たちの尊敬を集め、慕われてきた、齢90代半ばの一人の女性。

その価値ある輝かしい人生(少なくとも周りから見たときにはそう思えるだろう)を振り返ると、二人の子供を育て上げたこと以上のことは何もないのだと。
目の前の女性は、しみじみとそう語られる。

そのお姿には全てがあった。

先生ご夫妻がどんな時間を刻んできたのか。
何を思いながら過ごし、時に喜び、時に憤り、悲しんだり、そして感謝したりしてこられたのか。
私なんぞは、ほんの片鱗しか存じ上げていない。
いや、それすらも私の勝手な思い込みなんだろう。

ただ、長い時間を懐かしみながら、一緒に連れ添った最愛のパートナーを想いながら、目の前で微笑む女性のお姿には、全てがあった
少なくとも私にはそう見えた。
その言霊には、全てがあった

人生の重みを、深さを。
人間の真理を。
そして何より、生きることの素晴らしさ、喜びを。

改めて教えられた。

先生!、本当にありがとうございます。
次は私たちの番。

今、ニュースや新聞では、子育て予算にまつわる国会でのやり取りが盛んに取り上げられています。
予算額が妥当なのかどうなのか。
果たして本当にそれで多少なりとも改善に向かうのか。
いろいろな意見や見方があり、私にはよくわかりません。
ただ、何十年も続いてきた少子化対策論議ですが、常に金銭支援に偏り過ぎているのではといつも感じてきました。
子どもを産み育てなくなったのは、貧困や格差が原因だと決めつけすぎているように感じます。
もちろん、経済的に余裕がない子育て世代が増えてきていることは、大きな要因の一つであることは間違いないでしょう。
ただ、これは少子化という我が国が長い間抱えてきた大問題の一側面だと思います。
子育ての苦労も喜びも、そしてそれらから得られるであろう感謝も、とても深いものなんだろう。
そしてそれらは人それぞれ。
家族や社会を築き、命のバトンを未来につないでいくことの本質的意味を、もっと素直に受け止めた方がいい。
その上で、これまで築き上げてきた価値感や先入観に囚われない多面的な解決策・改善策を探らなくてはいけない。
もちろん、これはよくあるような「勇ましいイデオロギー論」なんかでは語れない。

先生の言霊に改めて気づかされました。
本当にありがとうございます。
これからも、ずっとお元気で!

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