その『あなたのため』、誰のため?

ESSAY|人と社会
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「あなたのために言っているのに!」

そんな言葉を耳にしたり、つい自分でも口にしたりしませんか。でもその言葉って、本当に相手のことを思ってのこと?
それとも、自分の感情の行き場探し?

相手の間違いを指摘しているようで、実は「どうして私の言うことが分からないの!」と腹を立てている。
相手のためにしていた話が、いつの間にか自分の言い分を通すための話にすり替わる。
厄介なのは、それでも本人は、相手のために言っていると信じていることだ。

相手を正すことと、相手を裁くこと。
この二つは、よく似ている。

その人によりよくあってほしいと願い、間違いを伝える。
けれど、伝えているうちに「自分は正しいのに、なぜあなたは分からないのか」という気持ちが入り込む。
相手が黙ったら、ようやく分かってくれたと思う。
でも、相手はただ、「これ以上何を言っても無駄だ」と思っただけかもしれない。

言った側には忠告でも、言われた側には、自分を否定する言葉としか聞こえない。
家庭でも、職場でも、思い当たる場面はあるだろう。
だからといって、耳の痛いことは何も言わず、見守っていればよいのだろうか。

仏教に「鬼手佛心」という言葉がある。
幼い子どもが危険なものを口に入れた場面を考えてみる。
親は慌てて、口に手を入れ、取り出そうとする。子どもは嫌がり、泣くかもしれない。
それでも、やめるわけにはいかない。
その子を守らなければならないからだ。

嫌がられることを引き受けてでも、伝えなければならないことはある。
厳しさと慈悲は、必ずしも反対ではないのだろう。

ただ、この言葉を、自分の厳しさを正当化するために使ってしまっては、それこそ危うい。
「相手を思っている」と言えば、どんな言い方でも許されるわけではない。
相手に聞く耳がないと嘆く前に、自分の言葉を聞き返してみる。
必要なことを伝えようとしているのか。
それとも、言い負かして気を済ませたいのか。

現実には、両方の気持ちが複雑に入り混じっているのだろう。
心配だから腹が立つ。
何度言っても伝わらないから、声も大きくなる。
だからこそ、口を開く前に、ほんの一瞬でも立ち止まれたらと思う。

中国の古典『大学』に、「修身斉家治国平天下」という言葉がある。
家を整え、国を治め、天下を平らかにする。
その始まりは、自らの身を修めることにある、という考え方だ。

天下と言われると大袈裟な話だが、自分の言葉を発しようとする、その瞬間にも通じるのでは。
相手の態度を変えたいなら、まず自分の言葉や声の調子を確かめる。
なぜ分からないのかと責める前に、相手の言い分を最後まで聞く。
それだけでも、届く言葉は変わるのかもしれない。

言うべきことは伝えようとしながら、相手の耳に届く言い方を選ぶ。
言葉を発する方にも、受け取る方にも、それぞれ言い分と感情がある。
思うように伝わらないことも多い。
それでも伝わったとしたら、こちらの言い方がよかったというより、相手が聞こうとしてくれたお陰なのではないだろうか。

誰かを変えようとする前に、自分を振り返る。
誰かを正そうとする前に、自分を律する。
厳しい言葉にも、慈悲が宿るように。
自分のいる場所で「一隅を照らす」とは、そんな日々のやり取りから始まるのかもしれない。

と、目の前には、大学受験を来年に控えた息子と、いつまでもゲームをやめない娘がいる……。

「お前たちのために言っているのに!」

出かかった言葉を、ひとまずのみ込む。
しびれるわ……。

マーラーに痺れ婆を食ふ夜長

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