このシリーズの第1話で、冬の札幌の生活道路について書きました。
一本の道路に雪が積もる。
車がすれ違えない。
高齢者が歩きにくい。
子どもの通学が危ない。
どれも、ごく身近な暮らしの中の出来事です。
けれど、その一本の道路を何とかしようと考え始めると、問題はそこだけでは収まらなくなります。
除雪を担う人がいる。
雪を運ぶ人がいる。
雪を捨てる場所が必要になる。
人手の問題もあれば、予算の問題もある。
道路の幅や、市街地のつくり方。
停まっている車まで関わってくる。
そして、その一つひとつの向こうには、それぞれの事情を抱えた人たちがいます。
一本の道路を照らそうとすると、実は、その向こうにある多くの一隅にも光を当てなければならない。
でもボクは、まちづくりという仕事の醍醐味も、難しさも、そこにあるように思います。
目の前の困りごとを解決することは、もちろん大切です。
けれど、その場だけを何とかしても、同じ問題がまた別の場所で繰り返されることだってある。
それどころか、別の場所で、別の人に、困りごとをもたらしてしまうかもしれません。
見えていない一隅があることにさえ、気づかないままに。
なぜ、その問題が生まれるのか。
なぜ、いたるところにあるのか。
なぜ、繰り返されるのか。
そして、どうすれば、まち全体として改善できるのか。
そんな問いを重ねていくと、やがて、まちの構造そのものを考えることにつながっていきます。
ただ、ここで忘れたくないことがあります。
まちの構造を考える。その出発点は、あくまでも一隅にあるということです。
その先にあるのは、やはり一人ひとりの暮らしなのですから。
制度も、予算も、都市の仕組みも、誰かの日常から始まり、最後には誰かの日常へとつながっている。
一隅から出発し、そこにつながる多くの一隅を知り、社会全体を見渡す。
そして、再び一人ひとりの暮らしへと戻ってくる。
ボクにとって、まちづくりとは、そんな営みに見えてきました。
さて、最澄上人の「一隅を照らす」という言葉から始まった、この5回の考察。
若い頃なら、少し地味で貧乏くさいと感じたかもしれない言葉です。
けれど、こうして考えてくると、その短い言葉の向こうに、なんとも大きな世界が広がっていました。
一本の道路
小さな公園
誰かの通学路
そこに暮らす人がいて、働く人がいて、それぞれの一隅がある。
最初はきっと、そんな身近な場所から生まれた、小さな灯火。
けれど、その灯火は、決して孤立しているわけではない。
「忘己利他」を持つ人々によって、一つ、また一つと灯がともり、やがて千里を照らす光となっていく。
一隅から始まるまちづくり
ボクの暮らす札幌にも、まだ照らしきれていない一隅が、たくさんある。
ボクの身近にある一隅も、どこかで細々とともっている、ボクが知らない一隅も。
さて、明日はどんな灯と縁があるのだろう…。
秋暮れて 街の灯ひとつ またひとつ
【シリーズ「一隅を照らす」】





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