大好き札幌! 緊急事態宣言は延長されるみたいだけど前向きに過ごそう(第3回)

大好き札幌
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北海道に発令されている新型コロナウィルスに掛かる「緊急事態宣言」が6月20日まで延長されるたということで、このコロナ禍で少しでも前向きに生活するために、そして全国的にも厳しい状況にある「札幌」をできるだけ早く回復させるために、私なりに考えたことや実践していることなどを、3回に分けてご紹介しています。

第1回では、自粛生活の中で心と体を健康に保つために、増えたおうち時間を気持ちよく活用しようと私が実践している方法の一部をご紹介しました。

第2回では、ニュースが人間にとって意外にも有害になるという視点から、ネガティブな報道から極力距離を置いて、貴重な時間をもっと自分にとって大切で有意義なことに振り向けようと提案しました。

今回はいよいよその最終回です。

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北海道・札幌のあるべき姿を考える

時代遅れの地方自治制度

5月13日、北海道の鈴木直道知事は政府に対して札幌市を対象とする緊急事態宣言を要請しました。

札幌での深刻な感染急拡大を何としても食い止めたいという、秋元克広札幌市長からの異例の要請を受けての対応でした。

しかし政府は、両首長が断腸の思いで下した決断を何と拒否。
ところがその翌日になって、専門家会議などの批判を受けて態度を一変し、
北海道全域を対象とした緊急事態宣言を決定。

なんというドタバタでしょう。
笑えない喜劇です。

一年余りに及ぶ一連のコロナ騒動は、長い間日本の行政機構や地方自治を制約してしてきた二つの根源的な問題を浮き彫りにしました。
①国に権限と財源が集中しすぎている、明治以来の「中央集権体制」
②戦後、「道」と「県」の本来的な違いを無視して「拙速に確立させた地方自治法」

コロナ禍で、多くの地方自治体が「対応が遅い!不適切だ!不十分だ!」と批判を受けています。
メディアはここぞとばかりに行政の不作為をこぞって書き立てます。

確かに行政の対応が遅かったり不十分だったりすることもあるでしょう。

でも、地方行政機関、つまり市町村は、
何かしたくてもできることがあまりにも限られているんです。
地域住民の期待に応える「財源」と「権限」がないんです。

例えば、ご存じのとおり「緊急事態宣言」も「蔓延防止措置(まんぼう)」も
都道府県知事が政府(国)に要請して、国が決定します。

そして、それに基づく措置が初めて許され、必要な経費が国から支給される仕組みです。

つまり逆を返せば、国が認めなければ、地方はほとんど何もできないということです。

地元の危機を見かねて何かしようとしても、先立つものがなくてはできることは限られます。
財布は国がほとんど握っていて、自由になる金は雀の涙。
借金すら国の許しがないとできません。

市町村となると、都道府県よりもっと裁量が制限されます。

国から支給される金は都道府県に入るので、
額や時期などは自分たちの思うようになりません。

自粛要請や休業要請などの強い措置は知事の権限なので、
市町村長は、いくら地元が厳しい状況であっても勝手に決められません。

地元のことを一番知っているのは地元の人間であるにも関わらずです。

小樽市長さんが知事の許可なく休業要請を掛けて、知事から大目玉を食らいましたね。

つまり、地元のことを市町村長より知らない都道府県知事が判断して、
もっと知らない国が決めている、そういう皮肉な「美しい体制」なんです。

こういう中央集権体制は、明治維新後「西欧列強に追いつけ!」ということで、構築されました。
当時の日本の置かれている段階や情勢にはマッチするシステムだったんでしょうね。
その後の急速な国力の成長がそのことを証明しています。

でも、
「あまりにも硬直的過ぎて地域の実情にそぐわない」
「地方の個性を活かした方が日本は成長できる」
「制度疲労が著しく改革が必要」などと言われて久しいです。

平成の初めから「地方分権」と空念仏を唱えながら、
「失われた30年」といわれる国力の低下を招いたことがそのことを証明しているでしょう。

ちなみに明治維新政府で中央集権体制構築の中心にいたのが大久保利通公。
ご自身のお考えに絶対的な確信を持っていて、一切妥協を許さない厳格な方だったらしいですよ。

この明治の元勲のご気性が、150年以上たった今でも脈々と引き継がれているのでしょうか。
ちょっと屈折した形で…。

北海道って「県」なの?

緊急事態宣言は都道府県知事が要請し、これまでのところ対象地域を原則その都道府県の全域としてきてます。

なので政府は前述のとおり、
北海道知事からの札幌市を対象とする緊急事態宣言を要請をいったん拒否し、
翌日北海道全域を対象とした緊急事態宣言を決定しました。

でもちょっと待ってください。

新型コロナ感染対策の根拠法である「新型インフルエンザ等対策特別措置法」には
「措置の実施すべき地域を定める」とあるだけで、
その地域が都道府県単位であるとはどこにも記載されてません

北海道は国土の約22%を占める広大な自治体です。
東北6県と新潟県を合わせたくらいの面積があります。

当然、感染の状況は地域によってかなり異なるし、
同じ道内だからと言って、遠くの市町村にすぐ伝播するというものでもありません。

函館と釧路は600km以上あります。
東京と神戸よりも離れています。
札幌の感染が釧路に広がるリスクは、
東京の感染が神奈川や千葉に広がるリスクとは比べ物になりません。

でも、措置は都道府県単位でなければならないらしいです。

ウイルスが県境を意識しているとでもいうのでしょうか(苦笑)

こういう不都合は、北海道ではあらゆる場面で生じます。

同じ北海道内でも、地域によって気候風土も、産業も、人口も全く違います。

札幌のような大都市
広大な農村地帯
山間の山村
海の恵み豊かな漁村

これらが国土の22%の広大なエリアに点在してます。

でも一つの自治体として、同じ枠組みで十把一絡げ(いっぱひとからげ)にされています。

知事も一人で十分だと。
九州には7人の知事がいて、
北海道よりはるかに人口が少ない四国でさえ4人の知事がいるのに、
北海道の知事は一人で十分だと。
そして権限はみな一緒だと。

でも実は、北海道の「道」と「県」とは本来全然違うものなんです。

北海道の成り立ちを勉強してみた

もともと「道」とは「県」より広域の概念です。

「東海道」とか「山陽道」とかいうやつです。

現在の「府県」は、基本的にご存じ「廃藩置県」で藩から転換されたものです。

一方北海道は、開拓や資源供給を目的として中央政府の機関として設置されたもので、
戦前まで「府県制」は適用されていませんでした

それが、戦後、GHQによる「地方自治」体制構築の指導の下、
きちんとした議論もされないまま、
中央政府の機関をそのまま地方自治体として置き換えてしまいました

極めて場当たり的、刹那的な措置だったのです。
憲法や地方自治法の作成に関わった方ご本人が、そう回想しています。

その枠組みが、そのまま長年議論を避けたままで現在に至っています。

そして、様々な不都合を道民にもたらしています。

私はこのような矛盾と不都合にずっと問題意識を持っていました。

なので、コロナによってこれらの矛盾や不都合が浮き彫りになってくる中で、
改めて北海道の成り立ちを勉強してみました。

多くの人が、今の日本が抱える制度矛盾に関心を持ち行動していくことが、
未来をより良いものにするはずだと考えているからです。

皆さんも、自分の周りの当たり前と思っている不都合に目を向けてみませんか。

最後に書籍を一冊紹介したいと思います。

「なぜ北海道には県がないのか」(岡 勝美 著)

著者の岡さんは北海道庁に奉職されていた方で、退職後、長年の経験や問題意識から北海道の将来の姿を提言した渾身の遺作です。
北海道にお住まいの方や、行政に関わっている方には是非お読みいただけたらと思います。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました!

今後とも、札幌での生活が大好きになるような話題や情報などを提供していきたいと思いますので、引き続きご愛読くださいますよう、よろしくお願いします!

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