見慣れた絵とはまるで違う「同じ絵」。
一枚の絵がこんなにも違う顔を持っているとは…。
恒例の札響名曲コンサート。
今回のテーマは「トランスクリプションの魔法」。
原曲に別の音楽家が解釈を加え、編曲によって新しい世界を開く。
そんな音楽の可能性を楽しむ、意欲的で珍しい演奏会です。

曲目は、次の3曲。
・バッハ「幻想曲とフーガ」(エルガー編)
・ブラームス「ヴィオラ・ソナタ第1番」(ベリオ編)
・ムソルグスキー「展覧会の絵」(ヘンリー・ウッド編)
実は、最も楽しみにしていたのは、2曲目のヴィオラ・ソナタ。
ブラームスの弦楽曲の響きの美しさは言うまでもないし、この曲を聴くのも初めてだったので。
ところが、メインディッシュの「展覧会の絵」が、いい意味で期待を裏切ってくれました。
「ロシア五人組」の一人、ムソルグスキーが作曲したこの名曲は、もともとピアノのための組曲。
亡き友人の画家の遺作展に触発され、絵やデザインから受けた印象を、10曲の音楽として描いたものです。
それを後年、モーリス・ラヴェルが管弦楽版に編曲したのが1922年。今日、ボクたちがよく耳にするのが、このラヴェル版です。
ところが、その7年前の1915年に、イギリスのヘンリー・ウッドが編曲した版が存在していたのです。
実は、ヘンリー・ウッドという名前を、ボクは今回初めて知りました。
指揮者として活躍し、ロンドンの夏の一大音楽祭「プロムス」の創設に関わった人だそうです。
プロムスといえば、ボクが「死ぬまでに行ってみたい場所」の5本の指に入る音楽祭。
その礎を築いた人のことを、恥ずかしながら今日まで知らなかった…。
さて、ラヴェルとウッド、二つの「展覧会の絵」。
原曲は同じでも、楽器の組み合わせ方や響きのつくり方で、これほど印象が変わるものなのか。
ボクの耳には、ラヴェル版は楽器の音色を精緻に組み合わせ、絵の色彩や陰影を描き出す音楽。
一方のウッド版は、大編成の響きと劇場的な効果で、絵の世界を演奏空間いっぱいに広げる音楽。
そんなふうに感じられました。
初めて聴くウッド版は、鐘の響きに奥行きがあり、ラヴェル版にはないオルガンも登場します。
その響きから思い浮かんだのは、ムソルグスキーの祖国ロシアの荒野。
荒々しさと雄大さが迫ってきて、いつもの「展覧会の絵」とはまるで違う絵を見ているようでした。
もう一つ大きく違ったのが、「プロムナード」の扱いです。
曲の冒頭に奏でられる、あの有名なフレーズ。
絵と絵の間を歩くムソルグスキー自身の姿や心の動きを表すといわれています。
ラヴェル版では、表情を変えながら曲の間に何度も現れるこの音楽が、ウッド版では冒頭だけ。
絵の前で立ち止まり、余韻を抱えながら歩くラヴェル版に対し、ウッド版の鑑賞者は、潔く次の絵の前に立つ。ボクには、そんなふうに感じられました。
そして、最終曲「キーウの大門」。荘厳な鐘の響きにオルガンも加わり、壮大な音の空間が広がります。絵を眺めているというより、その大門の前に自分が立っているような感覚でした。
同じ原曲から生まれた、二つの「展覧会の絵」。
編曲する人が変われば、絵の色も、奥行きも、そこに流れる空気さえ変わる。
ふと、同じひまわりを描いても、時代と作品ごとに違う表情を見せるゴッホの絵を思い出しました。
まさに「トランスクリプションの魔法」を実感したひとときでした。
こんな驚きに出会わせてくれた、わが町の宝、札響こと札幌交響楽団。
そして、指揮者の下野竜也さん。
意欲的なプログラムと素晴らしい演奏に、心から感謝と賛辞を贈りたい。
ブラヴォー!♪♪



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