人はなぜ、そこにいるのか。
前々回、そんなことを書いた。
では、自分はどうだったのだろう。
気がつけば、まだここにいる…。
今のところ、それ以上にうまい説明は見つかっていない。
それも、小石につまづきながら…。
もっと大きな仕事がしたい。
自分の考えていることを、もう少し形にしてみたい。
自分なら、こんなことができるのではないか。
そんなことは普通に考えてきた。
政治家でなくたって、それほど不思議なことでもない。
ただ、自分から何が何でもその場所を取りに行く。昔から、そういうタイプではなかった。
ピッチャー、4番バッター
学芸会の主役
飲み会への誘い
異性へのアプローチ
……並べてみると、ずいぶん脈絡がないな(笑)。
前へ出るより、どこかで様子を見ている。
昔から、どうもそんなところがあった。
格好よく言えば、慎重でクール。
いや、単に臆病で、面倒なことが嫌いだっただけかもしれない(笑)。
それでも長く仕事をしていれば、「ひょっとしたら」という未来はいくつか頭の中にできる。
あの会社に入っていたら
あの仕事を続けていたら
あのとき違う方を選んでいたら
人生には、実際に歩いてきた道の横に、歩かなかった道が何本もある。
若いころは、その道の多くがまだ「これから行ける道」に見えている。
ところが歳を重ねると、少しずつ様子が変わってくる。
「行かなかった道」が、「もう行かない道」になっていく。
当たり前である。
当たり前なのだが、これが案外おもしろい。
寂しいような気もするし、少し楽になったような気もする。
自分は何かを失っているのだろうか。
仕事?
地位?
何かを実現する機会?
それとも、
「まだ何者かになれる自分」
を手放すのが、少し惜しいだけなのだろうか。
こう書くと、だんだん怪しくなってくる(笑)。
人間というものは、自分の動機を説明するとき、どうしても少し格好よく編集する。
社会のため
誰かのため
使命感
もちろん、それは嘘ではない。
でも、その横にはたぶん、
認められたい。
期待されたい。
自分にはまだ何かできると思っていたい。
そんな気持ちも普通に座っている。
「立派な志と、ささやかな虚栄心」
前にも書いた。
便利な言葉を見つけると、すぐ使い回す(笑)。
では、何者にもならなくていいのか。
そう書くと、急に悟った人みたいになる。
もちろん、そんなに格好のいい話ではない。
人から評価されれば嬉しい。
批判されれば面白くない。
近しい人には相変わらず分かってほしい。
仕事では成果を出したい。
お金だって必要だ。
ささやかな虚栄心も、おそらく元気に生きている。
「人間なんてそんなものだ」
これもまた使ってしまった(笑)。
ただ、最近、少しだけ重心が変わってきたような気はする。
何が愉快なのか
何を面白いと思うのか
何を読んで、何に引っ掛かるのか
そんなことの方が気になってきた。
人間という妙な生き物を、もう少し眺めてみたい。
そして自分自身も、その妙な人間の一人として眺めてみたい。
できれば、あまり濁らずに。
もちろん、そんなことを考えていても現実は普通にやってくる。
仕事がある。
家族のことがある。
面倒な人間関係もある。
札幌には、もうすぐ雪も降る。
こちらが人生について少し考えたくらいで、現実の方が気を利かせて静かになってくれるわけではない。
それでいいのだろう。
いや、本当にそれでいいのかは、まだよく分からない。
この一連の文章を書き始めたころ、夏目漱石の『草枕』を読み始めた。
「とかくに人の世は住みにくい。」
百二十年も前から、そうらしい。
「草枕」、あれから少しは読み進んだ。
でも、まだ読み終わっていない。
何者にもならなくていいのかどうかも、まだよく分からない。
まあ、急いで答えを出すこともない。
とりあえず、続きを読もう。
秋の夜や 栞は気ままな 旅がらす
【シリーズ「とかくに人の世は住みにくい」】





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